なぜ、ひとは不安を感じると幸せから遠ざかるのか

幸せな人生ってなんだろう?とたまに思うことがあります。でもこれって人によって違うものであるべきはずで、そうなると今度は自分にとっての幸せを探さないといけないです。

それである程度固まってきた結果は、「ゲームが出来ればそれでいいかな」というもので、これが僕の考えだったり目標だったりします。
これを見て、くだらないと思う人は多いのかもしれませんが、そんなにふざけてる訳でもありません。


例えば、社会的な成功を目指すとします。簡単に言うと、お金持ちって楽しそう!とかそういう感じですね。分かりやすくていいと思います。

お金は他のものに変えることができるというところに価値がある一方で、他のものに変えない場合は変えようとしたい人が周りに集まるという価値が残るのかもしれません。というとイメージが悪いかもしれませんが、子供の教育とかそういったものに使えるので、これは一つの夢だと思います。種を残すことが生物の生きる役割の一つであると思うので、これを否定するのは違いますね。

なので、自分の人生の目的が種の継続である場合は社会的に成功する利点があります。ですが、目的がそうでない場合はそれが幸せかどうなのかは難しいです。ここの目的をはっきりさせないと、上手くいきながらもどこか虚しい感じを覚えてしまうときが来てしまう気がします。というより、それが怖いです。




話が広がりすぎてしまいそうなので、少し戻して自分の考えを書くと、人生における価値は観測にあると僕は思っています。

こういうことを考えているときに、僕と近いことを分かりやすく書いてくれていたフォロワーがいました。

俺の根源 - なみだいありー

友人の生死も武装集団のその後も俺が生きていなければ確認することができないから自分の生存を優先度の最上位におく。何があっても絶対にこの優先度は揺らぐことがない、例え恋人を人質にされようが地球を滅ぼすといわれようがなによりもまず確認しなくてはならないのはその選択の結果俺が生きているかどうか、である。

特に分かりやすいのはここです。

少しだけ違うところがあるとするならば、「自分の観測が終わったことは自分で観測できないので、他の人を守るために命を落とす選択肢を選ぶのは、他の人が命を落としたことを観測した後の罪悪感に人は耐えることが難しいから」であるのかもしれません。アーシャで言うなら止まったままの懐中時計。


子供のとき、いくら考えても死に対する答えは見つからなかったので、僕は有限な観測を生きることしかできません。観測が有限ならば、観測の密度を高めることで時間を長く捉えることができると考えるようになります。

「あの時こうしていればよかった」という後悔は、過去の観測の否定に繋がります。それで家でなんとなく過ごしているときに、大学生という時間はかなり特殊であると感じてしまい、後で後悔しないために「今、自分が観測しないといけないことは何だろう?」と思い浮かべます。

これは、未来から見た現在において観測する必要のあるものを観測したいということです。僕らは過去を生きるべきであるのかもしれないと思うようになります。

逆に言うと、最後まで未来を生きてはいけないということでもあります。
頑張ることの難しさであると思っていて、観測が終了する直前まで未来への投資を行っていると、現在に得られるものがないまま観測が終了してしまいます。

頑張ることは未来から見た過去への投資でありたく、それは現実的に過去に成り得る範囲までの時間に対する制限付きである必要があると思います。つまりは、観測を得られなかったとき過程は無駄になるということです。

これを決めずに頑張ることが絶対的に優れているという感覚を押し付けられても、あまり受け入れられません。

時間に余裕のある時期に、僕が時間を使って得られたら嬉しいものを考えてみたのですが、本当に何も思い浮かばなく、むしろ「ずっとゲームを楽しめる人でありたい」のように未来に対する投資の必要のないところに僕の感じる幸せがたくさんありました。

6世代はこんなポケモン使っていたなーとか、一時期はポケモンをしていなかったけどスクフェス楽しかったなーとか、思い返すとすごくその時が幸せだったと思えて後悔がなかったからです。そしてこれを継続することが人生の目的となり、来年からはもっとゲームを好きになろうと決めた記憶があります。そして2018年はリディー&スールのアトリエというゲームに触れることができて僕はとても楽しく過ごせてました。



ここからはさらに時間が進んでたまたま昨日見ていた配信についてです。
みんなのぎもんを かいけつ! #せんせ~しつもんです - YouTube

こちらの動画の20:00くらいからの疑問で、「なぜ人間はド忘れするの?」という内容がありました。それに対して、

忘れることができないとつらい記憶が一生残り続けるからでしょ

というコメントを目にします。これがとても印象に残っていて、人間はつらい記憶に耐えることができない生き物であるから、観測を無意識に終えてしまうと感じました。





話をタイトルに戻します。

なぜ、ひとは不安を感じると幸せから遠ざかるのか

僕が思ったことは

不安は未来に対して感じるもので、現在観測しているものがつらい記憶となり、その結果過去に振り返ったときの観測密度が薄くなる。

楽しく観測できた現在の分だけ、過去の観測を行いやすくなり、自分の人生に後悔がなくなる。

幸せだと感じるためには現在が安定している必要がある。(⇔不安を感じると幸せから遠ざかる。)

とかなのかな?ということでした。


「失敗がいい経験になる」というのは、未来によって過去の解釈が変わり、過去と結びつけることができたことで観測対象が増えたからなのかもしれませんね。