りてぃー

行動を真似することがいつの間にかまじょりてぃーになっている気がします。

僕の想像ですが、
①まいのりてぃーな正解を見つける人がいる
② (要素を拾うのではなく、行動が正解だと思い込むことで)正解が輝いて見え、真似する人がでてくる
③まいのりてぃーがまじょりてぃーになる
④まじょりてぃーが正解ということになる
このような流れを辿っているものはすごーく多く感じます。

経験を得るための行動から、行動のための行動にすり替わってしまい、行動のための行動から得た経験を考えることすらまじょりてぃーなのかもしれない。
まあ、経験しているだけすごいんだけどね。

応援とかアドバイスって相手のためにすることだと思っているのですが、自分で相手の像を作って、言いたいことを一方的に言うだけになっているよね。

読者に作られたまじょりてぃーを見せつけることでまいのりてぃーであると錯覚させて、不安になったところで作られたまじょりてぃーを得るための方法を載せて誘導する。いいびじねすだなーって思いながら読んでるんだけど、先入観を自覚する癖をつけておかないと引っかかる気がします。

そして、まじょりてぃーな空間に落とし込まされてしまうのに、必要とされていることはまいのりてぃーの強さの主張で、それすらまじょりてぃーに認識させられている。
うつ病になる人が出てきてもおかしくないって、ことりちゃんが言ってました。

それで、そういう人は自分の立ち回りがまじょりてぃーであることを望んでいるのかも。
不特定多数に対して行われるアドバイスっていうのは、未来の結末に対して行われることだと思うから、まじょりてぃーな思考によって得られた結果を伝えてあげて、判断基準を作ってあげることなのかなって思いました。

要約:無駄に不安にさせてみんなで疲れに行くのそろそろやめませんか。