決勝

最近のあれ。

負けた側よりも勝った側の行動を見られてる。その3匹ならこの行動をしないとおかしいとか出てくるけれど、ポケモンは両視点で共有できた情報によって行動が変わっていくゲームなので負けた側が何を見えてるかを追わないといけないはず。後から振り返ると情報量は対戦中のプレイヤーを超えるので、どこまでがそのとき見えていた情報なのかは把握しておきたいよね。

次によくあるのは選出になるのかな。これは全対応になる選出があったのかどうかにもよると思うから他の3匹の構成まで透けないと分からないことが多い。
例えばボーマンダを完全に切ったパーティは問題があるのは誰でも分かるけど、フシギバナクチートではどうなんだろう。ゲッコウガの対策はするけれど、ジバコイルは大丈夫なのだろうか。全てのポケモンに対応し切るのは無理なので、結局はプレイヤーが切る範囲を変えているゲームになっていて、この記事には関係ないけれど強さの違いはここで表れていると思う。

オフはどうやっても15戦を超えないから仲間大会より少なくて、人によってその日見えていた環境が違ってくる。決勝で負けた側のパーティに全対応の選出があった人もたくさんいるはずなのに、奇跡的に確率が噛み合わなかったり択に負けまくったとかでないならば他の何かしらのポケモンに負けている。オフはそういうゲームだと僕は感じてる。

なのでたまたま決勝でマッチングした2人の選出が上手く作れるかは分からない。準決勝まで綺麗な選出ができる相手を引き続けていた可能性はきっとあると思う。実際に決勝まで来れている事実を考慮されていないように感じるところもあって、ちょっと可哀想だと思った。無理な相手に運ゲーするためのポケモンなのかもしれないし、これが許されないなら6枠目のピン刺しオニゴーリは許されない。

とはいえ、優勝したその人はその日一番強い人だったのかというのも難しいところ。勝てることと強いことが必ずしも一致しない。

結局強さに関しては分からないことが多すぎるから、優勝した人というのはその日一番嬉しくなれた人なんだと思う。周りがどう思うかは置いといて、笑顔になれる人を作れるのがオフの決勝という舞台であると思う。嬉しくなったり悔しくなったり、働いたり学校に行ったりし続けて普段の生活で忘れそうになることを、ポケモンを通じて他の人と話しながら思い出す機会になるのがオフの面白さってことでいいんじゃないかな。




あと運ゲーが嫌いならポケモンをやめた方がいいというのは対戦に慣れている立場から解釈しすぎていると思った。始めるきっかけってどれも些細なことだと思うけど、ポケモンを始める前に運ゲーのことを考えるのって難しい。このゲームで立ち回ることが好きな人は多いと思う。

そもそも運って難しいんですよね。1発で凍るのは運負けに見えやすいけれど、10%追加効果の技をサイクルで7回受けて何も起こらなかったらそれは普通なのかどうか。自分で制御できる範囲を超えたものを運とするなら、相手に選択権がある択は運ゲーなのかどうなのか。相手の行動との噛み合いを分かりやすい数値として誤魔化してるのが確率だったりするはず。

結局やっている見た目が違うだけでどっちも同じかもしれない。それだとダメなことに気づいた人は行動の噛み合いを運ゲーにしないように両対応を増やせる構築を作ろうとするけれど、同じ日同じ場所に集まった人が全員そうであるのは難しい。

少しだけ人が人を評価するゲームに変わってると思う。僕も自分が思う強い人のことはちゃんと判断してあげようと思ってたりしているし、何かある度相手を蔑んだりしなくても評価される人は評価され続けると思った。