こどくしぐなる

僕は深夜にやっている長時間配信を見るのが好きです。視聴者に対して何かをするのではなく、自分がしたいことをやっているのが見ていて楽しいからです。
こういうと身勝手な配信者が好きなように勘違いされそうですがそうではなく、ゲームのタイトルで調べて見てるのにそのゲームに向かって行ってない人を見るのが悲しかったり自分勝手に思えてしまったりします。

他ジャンルの配信はほぼ見ないのでまた考え方も変わってくる気がしますが、少なくともゲーム配信ではそのゲームが好きな人がいて、そのゲームが好きな人が見るでいいと僕は思うんですよね。ゲームの話をできるような場所ってあんまりないと思うので、そういう場所は大切にする必要があるんじゃないかなと。

人を見ている視聴者が多い配信よりも、ゲームを見ている視聴者が多い配信の方が楽しい時間を共有できると思うわけです。何を面白いと捉えるかで変わってくるところはありますが、僕は笑えることよりも過ごしやすい空間の方が面白いと感じます。

これは見る側の話でしたが、する側でもゲームを見ている人を集めたい気分になります。無理矢理集めた人数はゲームを見ていない可能性が高いからいらないと感じてしまうし、人に対するコメントをされるのは好きになれていません。

そもそも他の人に伝わらない1-1のやり取りをするなら他の人に見えない形ですればいいんですよね。誰かと仲が良いことを他人の視点を経由しないと実感できないのはすごい寂しいことだと僕は思ったりします。これは自分の3年くらい前に対する反省も含んでいますが。

少し前にタイムラインで見かけた「アットホームは排他的」というツイートがとても好きです。そういう意味で狭いコミュニティはリアルで作れることからも、せめてネットくらいではぼっちでいた方が楽しいのかなと思うように今はなっています。淡々と自分の好きなことや考えをツイートしている人を眺めるのが楽しみです。

誰かと仲良くすることは、誰かが関わりにくくなっている。そんな可能性もあったりしませんか?